過ぎゆく季節を惜しむ曲(12) 若者のすべて
これもまた、象徴的な夏の終わりの曲です。
この曲に触れてしまうと、どうしても書く言葉全てが薄っぺらくなりそうで嫌なのだけど。
この曲を初めてライブで聴いたのは、2019年のロッキンジャパンでした。
というか、フジファブリックを生で聴いたのもその時が初めて。
「LIFE」とか「手紙」みたいな、これもまた象徴的な曲を演奏した後、最後の曲がこれでした。
ライブを聴くのが初めてだった自分には、この曲を山内さんの声で聴くのも初めて。
途切れた夢の続きを
とり戻したくなって
まるでその歌詞のとおりに。
そこには確かにフジファブリックが居ました。
確かに志村さんと山内さんは全然声質が違うし、あの志村さんの消えてしまいそうに儚い、まるで10月に生き残ってしまった夏の欠片みたいな一瞬の美しさは出せないけれど。
このフジファブリックはどこまでも優しい。
消えてしまいそうな夏を優しく見守る包容力を感じました。
志村さんが居なくても、彼らはフジファブリックでありつづけました。
(山内さんバージョンの「若者のすべて」)
失ったものを埋めようとするのではなくて、
失った者にしか見えない景色を描く。
それが彼らの選んだ道でした。
決して、簡単なものではないけれど。
曲に関しての話をすると、
まず印象深いのはこのイントロですよね。
弦楽器はC F C F、って繰り返しで、ドラムもシンプルな8ビート。何も難しいことをしていないのに、物凄い印象に残るイントロ。まるでさざ波が知らないうちに足元を濡らしているようなイントロです。
そしてAメロ。
真夏のピークが去った
って歌い出しもインパクトが凄いけれど、
それでも未だに街は
落ち着かないような気がしている
というこの歌詞。
夏の残滓の中、まだ浮き足立ったままの街。
これは街のスケッチというよりもむしろ、希望と不安がごちゃ混ぜになった内面を描いた心象風景。
夏も、未来を見ている人々も、ふわふわとした訳の分からないエネルギーに溢れているものです。
ここの部分は、メロディーも全部シンコペーションで入っているんですよね。
ふわふわとした前のめりなエネルギーは、耳で聴く印象からも伝わってきます。
そこからの、拍あたまから歌い出すBメロ。
ここでぎゅっと全体のイメージが締まってからは一気に感情を吐き出すサビに流れていく。
歌詞もそうなのですけれど、メロディーを使った感情表現が素晴らしい曲なんですよね。
感情を追体験しているようで、とても印象深い。
それが、この曲を名曲たらしめている理由なのではないかと思います。
誰にでもあっただろう、期待と不安が入り混じった夏。
この曲は、その時間をもう一度思い出させてくれる力を持っています。
2019年のロッキンでは、他のステージに先んじて、パークステージはフジファブリックの演奏で幕を閉じました。
最終日の大トリです。
最後の曲である「若者のすべて」が終わった瞬間、会場には花火が打ち上がりました。
それはまるで、決して失われない魂としての志村正彦に捧げるような花火で。
まだ明るい夜空を美しく彩りました。
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ