雨の日に聴きたい曲2. サボテン
ポルノグラフィティ「サボテン」
雨を見ると、この曲の情景も思い出します。
この曲の素晴らしい部分を挙げるならば、美しいメロディーもそうなのですが、
やはり歌詞ではないかと。
雨の中、別れの瞬間を描いた曲です。
今の僕じゃ追いかけられない
とあるように、見送ることしか出来なかった自分を窓際のサボテンに例えた曲。
情景描写に全く無駄がないのです。
こんな日にでも君ときたら水をあげてる
溢れるくらい水をあげてる
君が側にいてくれることも
惜しみない愛にも慣れていたんだね
「君」は、水=生命をくれる人。それは惜しみない愛情。
ちなみに、サボテンに溢れるくらい水をあげるのは、別に間違ったことじゃありません。砂漠の植物というイメージはあるけれど、他の木や草と同じくらいに水は必要。無くても生きれるけど。
じゃあ、『こんな日』ってどんな日かというと、
雨のにおい 冷たい風 不機嫌な雲
雨の日だけど、部屋の中だからあんまり関係ない。
雲が不機嫌な日、というところが重要。
水を与えてくれる雲、すなわち『君』が不機嫌な日、なのにそれでも水を、愛情を与えてくれる。
素晴らしい人だよね。
この曲を理解する上でいちばん意見が分かれるのは、
僕らきっとうまくやれるはず
ほら薄日も射してきた
小さな花を咲かそう
をどう捉えるか、という部分で。
この取り方で、印象が180度変わってしまいます。
この歌詞を普通に取ると、さっきまでぐちぐちしていた奴の元に『君』が戻ってきて、何故かハッピー、となってしまうのだけど。
あまりにも急展開すぎるよね。
ちょっとどうなの。
ここで重要なのが、この曲。
チューリップの「サボテンの花」。
ポルノの「サボテン」は、これを下敷きに書かれた曲だとしか思えないんですよね。
降っている雪が雨に変わっただけで、風景はほとんど同じ。
そして、どことなく漂う昭和の香り。
「サボテンの花」には、こんな歌詞があります。
君が育てたサボテンは小さな花を作った
春はもうそこまで 恋は今終った
そして、
この長い冬が終るまでに 何かを見つけて生きよう
となるのです。
サボテンに咲いた花は、新しい季節が来るサイン。新しい旅立ちの一歩目なのです。
『小さな花を咲かそう』とは、サボテンに向けての言葉なんですよね。
チューリップの歌のように、新しい日々を生きて行こうよ。そんな強さを持とう、って。
ちなみに、
サボテンに花は咲くのか?
という疑問もあります。あんな、年じゅう変わらない姿をしている奴に。
調べてみると。咲くみたいです。
花を咲かせるために必要なのは、水をあげること。
水をあげていたから咲く花。
与えてくれた愛情は、知らないうちに美しい世界の種になるのですね。