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雨の日に聴きたい曲(11) あじさい通り

スピッツあじさい通り」

 

 

キャリアの長い彼らの中でも珍しい、雨の曲。

他にあるかな…すぐには思いつきません。

 

音作りからして、昭和歌謡みたいなコテコテの世界観です。

というか、あじさいという花自体がどこか懐かしい、昭和の香りがする花です。

昔から変わらず、どこにでもあったからね。

小学校への通学路とか。

 

この曲の歌詞は至ってシンプル。

いつも 笑われてる さえない毎日

だけど あの娘だけは 光の粒を

ちょっとわけてくれた 明日の窓で

ここに集約されているとおりです。

光をくれた『あの娘』を見つめる視線の曲です。

 

だけど、しれっと置かれた比喩表現を丁寧に見つめてみると、よりこの曲の世界が胸に落ちるのではないかと思います。

 

 

あじさいの花言葉って、めっちゃいっぱいあります。

冷淡、無情、辛抱強い愛情、元気な女性、浮気心、変化。

その理由は、あじさいが成長とともに色をどんどん変えていくからとのことです。

あじさいの本質は、変化することです。

 

そんな視点に立ってこの歌詞を眺めると、

時間の表現が気になってきます。

 

(1-Bメロ)

だけど あの娘だけは 光の粒を

ちょっとわけてくれた 明日の窓で

 

(1サビ)

変わらぬ時の流れ

はみ出すために切り裂いて

今を手に入れる

 

この主人公には、

『あの娘』がいる明日が見えているけれど、

まだ今を持っていない。

 

それはすなわち、

寄せ集めた花 抱えて

名も無い街で一人

初めて夢を探すのさ

今を手に入れる

 

花はもちろん、

だから この雨上がれ

あの娘の頬を照らせ

と願っている通り、『あの娘』に渡すべき物。

世界の片隅で、初めて誰かに花を渡そうとしている主人公は、これから今を手に入れようとしている。

 

歌詞に書いてある通り、明日とは、『あの娘』が待っている場所。

だけど、わけてくれた光の粒が「ちょっとだけ」である通り、そこは遠い場所。

まだ現実離れした場所でしかない。手が届くような場所には居ないのだ。

しかも、明日に続くべき「今」という足場すらない状態。

 

だから、『あの娘』まで地続きの場所に立てるように。その場所を見据えて進もう。

明日へ地続きの「今」に、まずはしっかりと立たないといけない。

これまでのさえない自分から変化しよう。

 

という決意を歌った曲です。

 

あじさい」って、雨の象徴であり、初めに書いたとおり、懐かしい過去の象徴。

あじさい通り」という曲が昭和歌謡であることには意味があったのです。主人公を取り巻く世界が過去に支配されていることの象徴。

 

『この雨上がれ』というのは、過去を捨てる決意を示していて、

そして、雨が上がれば、あの娘の頬を照らすことが出来るかもしれない、と。

 

過去に囚われながらも、前向きな視線を描いた曲です。