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秋の夜長を彩る曲(7) 今宵の月のように

エレファントカシマシ「今宵の月のように」

 

 

宮本さんの歌唱力を心ゆくまで堪能できる、そんな曲です。

初めて聴いた当時はエレカシのことを知らず、和田アキ子ってこういう曲も歌うのかとびびってたのは良い思い出です。

 

この曲に限らず、エレカシの曲って大体の場合、宮本さんの声の印象しかないんですよね。

演奏の印象薄すぎる、って。

まぁ、それは演奏が下手だって言っているわけではなくて。

バンドメンバー3人が考えているのっておそらく、とにかく宮本さんの声をいかにして輝かせるか、ということ。

楽器隊はあくまでもバックバンドとして、宮本さんをいちばん魅力的に見せるための背景となるのだ、そんな考えなんですよね。

 

4人で出演するラジオとかを聴いていると分かるけれど、楽器隊3人は宮本さんを好きすぎる。

宮本さんの歌やキャラクターって、本当に愛されているんだな、と。そう思います。

 

だけど同時に心配なのは、最近になって宮本さんがソロプロジェクトを始めていることで。

椎名林檎やらハイスタ横山さんやら、数多くの才能とぶつかりながら音楽を磨いている。

そこからバンドに帰って、ぶつかりようのない世界の中で、本当に楽しんで音楽が出来るのか。

いらぬ心配なのですけれど。

ソロプロジェクトの演奏が凄く良くて、少し驚いたんですよね。

 

 

この曲は、全編にわたって、ほとんど宮本さんの弾き語りみたいな構成になっています。

楽器隊はそれを支えて、楽曲全体の世界観をよりシャープに浮かび上げる役割を担っている。

 

音数の少なさが秋の夜空の透き通った夜空を思わせて、とても良いアレンジだと思います。

そして、何より宮本さんの声。このアレンジは、宮本さんの声があって初めて成立するんですよね。半端な歌声ではつまらない曲になってしまう。

男臭い、力強い歌声。それは一人の人間が持つ力の底知れなさを描き出し、

そしてその上に浮かぶ巨大な月。

静かだけれど、とても力強い光景です。

 

この曲は、

どことも知らない場所へ向かって走り続ければ、いつかは月のように輝けるはず、という曲。

今の宮本さんソロを見ながらこの曲を聴くと、何か色々と考えてしまうところがあります。

ソロの楽曲、とても良いし。

 

とは言っても、宮本さんが輝くのであれば、それがどんな形でも構わないとも思います。

多分それは、エレファントカシマシのバンドメンバーも同じ思いなのかもしれません。

秋の夜長を彩る曲(6) 銀河

フジファブリック「銀河」

 

 

凄い曲です。何かもう、凄いとしか言いようがない。

彼ら特有の、どこを向いてるんだかよく分からない曲です。

ただ、向いてる方向は分からないけど、進もうとするエネルギーは凄い。

 

どこを目指しているのか、演奏している4人も分かっていないような気がするんですよね。

ただ、それぞれが持てる力を最大限に使って見たことのない場所に行こうとしている。

 

ある意味では不協和音みたいな感じ。

それぞれがそれぞれのやりたいことを全力でやった結果、王道から離れた、絶妙なダサさみたいなものが生まれています。

だけどそれって、ストレートに格好良い曲には到達し得ないフックだったり、底知れない深みだったり、何か凄まじいもので。

聴いてると脳内から離れなくなる。

 

この、訳の分からないパワーが魅力です。

 

U.F.Oの軌道に乗って

あなたと逃避行

夜空の果てまで向かう

この曲を聴いていると夜空の果てなんて平気で到達できる気がしてきます。

いろんな意味でぶっ飛んだ曲。

歌詞と曲の世界観がこんなにぴたっと一致する曲も無いかもしれません。

あとMVも。

この曲にあの映像をあてようとした人は神ではないか…

 

でも、何よりぶっ飛んでいるのは、Cメロで唐突に発生する転調ではないでしょうか。

無ければ無いで成り立ちそうな転調が、3:46から10秒の間に2回。

何という滅茶苦茶な展開。

 

きらきらの空が

ぐらぐら動き出している!

確かな鼓動が膨らむ

動き出している!

という歌詞での転調です。

本来動かなくても良かった曲の展開が膨らむ、動き出している!

 

そして聴いている人はU.F.Oの軌道に乗って夜空の果てを見ることになるのです…

 

 

この曲を聴いて感じるのは、街に象徴される現実から抜け出そうとする意志の強さ、脚力の強さ。

逃げ出した二人は空ばかり見ている。

理想の場所が地上に無いのであれば、必要なのは逃げ足じゃなくてジャンプ力。そんなことを感じます。

手を引いてくれる力強さを持った曲です。

秋の夜長を彩る曲(5) ムーンライト----

Plastic Tree「ムーンライト----」

 

 

 

タイトルは全角ダッシュ4個です。

公式のPVが既に間違っていて、とても微妙な気分になりますけれど。

 

この曲のAメロの譜割りは物凄いです。高速でひたすらmid2Eの連打。あとはそこからふわふわと上下するくらい。

呟くような歌い方で、もはやラップと言っても良いくらい。

似たような歌い方はこの時期の彼らの曲に時々あるのですが、この曲はかなり特徴的。

 

Bメロになると、上がっては下がりのまるで螺旋みたいなメロディー。

Aメロ→Bメロで、過去に囚われた感情の動きが説得力を持って描かれています。立ち止まってみたり、前を向いては過去を振り返ったり。

 

サビに入ると、急激に視界が開けます。

空を見上げて、月に胸の奥まで照らされる感覚。

 

だけど、別に自分とか世界が何か大きく変わるわけでもないんですよね。

同じ月 同じこと 胸の奥を照らされたら

あと1秒 1光秒 戻るほどに遠い

ただ記憶との距離を再認識するだけ。

 

見える景色は美しいけれど、特に何かが良くなったわけではない。

これは後ろ向きに見えて、ある意味、救いでもある。

世界が美しくても、周りが素晴らしくても、自分が同じように善くなければならない、なんてことはない。

だから無理して強くなくてもいいじゃん。

 

差し込む月の光の美しさも相まって、

何かしら賛美歌的な神々しささえ感じます。

 

 

 

ライブバージョンではもっと特徴的なのですが、この曲はドラムのための曲です。

ドラムフレーズがあまりにも印象的。

 

例えばサビ前。

後ろ向きな1サビではハイハットクローズ1打だけ、

段々感情が昂ってきた2サビではスネア連打、

忘れゆくことを自覚して怖がる3サビでは無音。

サビへの入り方だけでも、その感情に引き寄せられるんですよね。

 

この曲におけるドラムって、いわば体温。

Aメロでは手数が多い、細かいドラム。

Bメロでは余白が多く、月光が差し込みはじめるような透き通ったハイハット

サビでは心臓の鼓動みたいな、単純な強打の8ビート。

 

このドラムパターンによって、この世界の中に物理的に引き込まれる感覚があります。

まるで同じ体温を共有しているような。

歌詞は世界を記述するけれど、歌詞は世界の全てではありません。こんな描き方も美しいよね。

 

 

このブログには、Plastic Treeの好きな曲ランキングを作る「プラソート」を置いているのですが、この曲は全体の1位。

めっちゃ好きな曲です。

彼らには夜とか月がよく似合います。

秋の夜長を彩る曲(4) 月光浴

柴田淳「月光浴」

 

 

美しい曲です。

ピアノとストリングス、そして柴田淳の歌声だけで構成されている曲。

おそらく、このシンプルさが曲全体の静謐さを支えているのでしょう。

空間を音で満たさず、余白がたくさんある曲だから、静かに美しく輝く月光みたいな柴田淳の歌声が邪魔されることなく、よく見えます。

秋の夜、透き通った空が満月の光をよく通すように。

 

ちょうど十五夜の月みたいに、月の光以外には物音さえも響かないような。

そんな光景を思わせる曲です。

 

柴田淳の声がとても好きなんですよね。

全く音程を外さない、いわゆる技術的な部分も相当なものですが。何よりもその声の魅力が凄い。

寂しさの感情を歌わせたら、この人に並ぶ人は居ないんじゃないかと思っています。

やっぱりそれは、持って生まれた声の質が成せるものでしょう。

技術的には、低音域で広がるようなビブラートも美しいのですが、高音域で地声からシームレスに裏声になっていくあの感じが本当に美しい。あの部分を同じように美しく出せる人って他にいるんだろうか。

 

楽曲的な部分では、

やっぱりこの人は優秀なメロディーメーカーだと感じます。

Aメロ→Bメロ→サビ という普通の構成、普通のコード進行だけれど、これが一分の淀みもなく美しく流れていく。

これは、美しいメロディーがあってこそです。平凡なメロディーでは、この上なく退屈な曲になりかねない。

歌詞の部分ばかりがクローズアップされてしまいますが、この人の優れている部分は作曲能力なんです。

 

美しいメロディーに、シンプルだからこそ美しい世界観、そして柴田淳の歌声の力。

それらが高いレベルで結びついて、奇跡的な美しい曲になっています。

何だかんだで、この人の曲の中では一番好きな曲です。

 

確か、ずっと昔のCDTVで、70位くらいで一瞬流れたこの曲が忘れられずに、調べてアルバムを買ったのが柴田淳の曲との出会いでした。

MVも含めて、凄く美しかったから。

懐かしい。今ならもう少し簡単に辿り着けそうなものですが、当時はCDを聴くまでに2週間くらいかかったのを覚えています。

秋の夜長を彩る曲(3) 今夜はブギー・バック

TOKYO No.1 SOUL SET + HALCALI今夜はブギー・バック

 

 

今まで数多くのアーティストにカバーされてきた「今夜はブギー・バック」ですが、

その中でも一番のクオリティです。何なら本家に匹敵すると言っても過言ではありません。

 

オリジナルからだいぶ遠く離れてしまったエレクトロサウンドですが、アレンジをなぞっただけのカバーよりもずっとオリジナルへのリスペクトを感じます。

この曲はアップテンポに再構成されているのですが、オリジナルの空気感がほとんど損なわれずに残っています。

やはり、いちばん大きいのはHALCALIの気怠いボーカルでしょうか。

オザケンスチャダラパーが作り上げたムーディーな世界が新宿の夜だとするならば、

HALCALIが有り余るエネルギーと気怠さで作り上げたのは渋谷の真夜中。

 

ムーディーな深い格好良さは確かに失われているけれど、その分だけ、煌びやかな夜の輝きは強くなっています。

楽しそうだよね、という印象。

多分、本人たちがこの瞬間を一番楽しんでいる。

 

自分の言葉で再構築すること。

それが、もしかするとカバー曲に最も重要な要素なのかもしれません。

オリジナルそのままの言葉で表現しても、それはただの朗読劇だよね。

 

あと、やっぱり、どうしたって神様から与えられた力っていうのはあるわけで。

 

神様がくれた

甘い甘いミルク&ハニー

の説得力は圧倒的にHALCALIの方が上です。

何が凄いって、甘い甘いミルク&ハニーをもらって、それをただ浪費するに任せている感じ。

人が羨むその贈り物を、一瞥もせずにただ当たり前のものとして使いつづける。

 

それを輝きというのかもしれません。

 

作品と表現者が奇跡的に化学反応を起こした時、作品のポテンシャルは一気に増大する。

このカバーはそういう曲なのかもしれません。

秋の夜長を彩る曲(2) 金木犀の夜

きのこ帝国「金木犀の夜」

 

 

秋の夜って、空気がぽっかりとしているから、金木犀の香りが隙間すべてに入り込んで、世界を埋め尽くすような感覚をおぼえます。

ここまで世界を変えることが出来る花って、ほかに無いように思います。

だけど、その甘くとろけるような香りは、いつの間にかぱったりと消えてしまいます。

だいたい毎年のように、突然雨が降って、全部散ってしまうんだよね。

 

この曲は、きのこ帝国が活動休止前に出した最後の音源のリードトラック。

佐藤さんはデビュー当時、自分も他人も刺し殺しそうな歌を歌っていたのに、

いつの間にか

随分遠くまで来てしまったな

という歌詞の通りです。

あの頃とは全く違う人になってしまっている。

 

とても優しい歌です。

8年前にこの曲があったら、傷だらけになりながら歌っていても良いような曲なのに。

 

香りは人の記憶を強く呼び起こします。

この曲は、金木犀の甘い香りで幸せだった頃を思い出してしまう、そんな曲。

だけど、この曲を歌う佐藤さんは、現実を見て荒れるでもなく、悲しむでもなく、どこか優しい眼差しを感じるんですよね。

多分それは、香りをきっかけに思いっきり引き戻された自分が、そのことをじつは忘れていたことに逆説的に気づいたからなのかと思うんですよね。

 

あの頃のふたりは

時が経っても消えやしないよね

 

と歌っているけれど、

金木犀の花って、思った以上に寿命が短いから。

その力強さ、華やかさとは裏腹に、すぐに消えて忘れ去られてしまう。

だからこその、

いつの間にか

随分遠くまで来てしまったな

なんじゃないかな。

もう、あの頃からは随分離れてしまった。

 

いつか他の誰かを

好きになっても忘れないよ

って、どちらかというと、過去を美しいものとして置いていこう、という決意のように取ることができます。

 

美しいものに対する、愛おしい視線。

それが、この優しい歌に表れているんだと思います。

 

 

しかし、このMVはどうにかならなかったものか…

確かに、パリピ的な一瞬の輝きはすぐに消えてしまうんだよ、という斜に構えたテーマの映像なのかもしれませんが、

曲を受け止められるほど映像が美しくない。

言いたいことを言うだけの映像は芸術ではないんですよね。

最後に作られたMVがこれでは、彼らのキャリアも上手く締まらない。

 

せめて最後に良いMVを…

いつの日か、美しいものにまた触れられる日がくれば良いと思うのです。

秋の夜長を彩る曲(1) 星のかけらを探しに行こう again

福耳「星のかけらを探しにいこう again」

 

 

福耳は、今では参加アーティスト10人超えのイベント用お祭りユニットみたいになっているのですが、

1999年の結成当時はわずか3人でした。

メインボーカルの杏子さんと、コーラス要員のスガシカオ山崎まさよし

コーラス要員が無駄に豪華。

 

この曲は、杏子さんのシングル「星のかけらを探しに行こう」をベースにしてリアレンジした曲です。

元の曲は、ドラムの音やホーン、ストリングスがよく立った都会的な曲でした。とても若々しい世界観。

どちらもきらきらとした光を感じる曲ですが、見える景色は全然違う。

元の曲が横浜の山下公園から見える夜景ならば、この曲は葉山の海岸で見る星空。

派手な煌びやかさは無いけれど、その向こうにある星空の明るさがよく見える。

 

そう、星がきれいに見える曲なんですよね。

ふたり 夏の星座をくぐり抜けて

って歌っているのですが、感じる空気は秋のもの。空気が澄んでいます。

それはシンプルで余白の多い音作りの賜物でもあるのですが、何よりも、3人の声の質によるものが大きいのです。

3人とも、声が凄まじくハスキーだから。

ジンというか、マティーニみたいな声なんですよね。

ドライな味わい。

余計な水分を全く感じない爽やかな秋風のようで、その世界に佇んでいたくなります。

過ごしやすくて、星を見るには最適な時期ですよね。

 

落ち着いた恋愛の曲のようで、その実、結構分かりやすくロマンチックな曲でもあります。

 

今宵 星のかけらを探しに行こう

舟はもう銀河に浮かんでる

 

杏子さんバージョンのほうは、どちらかというと、「あの輝く星を二人占めにしようよ」という感じ。空に浮かぶ光にもう少しで手が届きそうな。

そう、例えばお台場で乗る屋形船。水面に様々な光が浮かんで、銀河鉄道のよう。

againバージョンのほうは、昔掴んだけれど見えなくなってしまった星、擦り切れて小さくなってしまった星たちを、一つずつ大事に磨いて再び空へ返すような光景。

とても優しくて暖かい。

 

「星のかけらを探しに行こう again」というタイトルもまた良いです。

いつでも、何度でも、星を見つけることは出来るのです。