夏の日に聴きたい曲(4) RPG
SEKAI NO OWARI「RPG」(2013年)
なんだかんだで、この曲ももう7年前。理由は分からないけれど、ものすごく好きな曲です。
確か、国立競技場最後のライブイベントに当選して行った時、セカオワ最後の曲として演奏されていました。
銀河街の悪夢からのこれだったので、国立の晴れた空の美しさと相まって、物凄い解放感だったことを思い出しました。
音楽論的にはどうなんだか分からないけれど。
自分の中でこの曲は、
一人で不安を抱えながら、だけど、絆を信じて歩く曲、なんですよね。
絆って言葉自体は陳腐過ぎてアレですけれど。
コード的には、明るめのコードを多用していて光量が高いように見えるんだけど、だけどどことなく不自然。
これは多分、
F G C F G C E7 Am と、
カノンコードをランダムにばら撒いたような進行から来ているからなのでしょう。
本来、カノンコードって構成音の連続性が美しさを生んでいるのに、
それをばらばらにしているから、視線のふらつき具合が凄い。
右へ行きたいのか左へ行きたいのか分からない。
そして、そこからの最高に不安定なG#aug →不安定なようで安定した分数コードのC/G。
この流れはある意味で文学的なコードだし、何よりおしゃれ。
歌詞にあるように、ペルセウス座流星群を見上げながら必死で歩いている様子が伝わってくるコード進行です。
※音楽理論についてはアマチュアなので、本当にそうかは知りません。
自分がそう思っているだけ。
歌詞については、
あの日から僕らは一人で海を目指す
「約束のあの場所で必ずまた会おう。」と
と言っている一方で、
怖くても大丈夫 僕らはもう一人じゃない
とも言っています。
隣にいるだけが絆じゃない。
君がいるから僕は歩く、君は歩いているか知らないけれど。
何か不測の事態が起こったとき、何かと「絆」って言葉が乱用され始めます。
この曲が出た2013年当時、そういえば、まだそんな傾向がありました。
まさか2020年になってもまだ同じことを言っているなんて、ちょっと凄いよね。人は意外に飽きない。
自分だけが決めた「答」を思い出して
Fukaseだってそう言ってるのにね。
最後に。この曲は大太鼓やらシンバルといった、マーチングバンドの打楽器で構成されています。
もちろんドラムでも叩けなくはないけれど、
やっぱり、こういう音色は楽しげで素晴らしいです。これが曲全体の解放感を演出しています。
バンド形式にこだわらないセカオワにしか、こういう曲は出来ないんじゃないかな。彼らの自由度って、本当に凄い。