過ぎゆく季節を惜しむ曲(13) 壊れかけのRadio
徳永英明「壊れかけのRadio」
既に過ぎ去ってしまった季節を、捨て去ることが出来ずにずっと胸に抱いている。
そんな曲です。
黒いラジオを買った少年が、
ラジオに勇気をもらい、
ラジオに導かれるままに音楽の道を志し、
故郷を離れた遠い街で人波に紛れ、
美しい故郷の空に想いを馳せる。
そんな歌詞なのですが、
いつも傍に置いていたラジオが物語に深みを与えています。
いくつものメロディーが
いくつもの時代を作った
現在はサブスクやYouTube全盛期なので、ラジオを聴く習慣のある人はあまり居ないかもしれないのですが。
少しまでは、新しい音楽の発信源として、ラジオは多分一番手でした。
テレビは音楽シーンの表層しか映さないからね…
新しい音楽や、美しい音楽。
そういったものを発信するのは、だいたいがラジオだったのです。
何よりも、ラジオって他のことをやりながらでも聴けるのが良いのです。あの頃、視線を拘束される他のメディアではこうは行かなかった。
ラジオは、新しい世界への入り口でした。
だけど。
そのイメージとは裏腹に、ラジオって意外に耐用年数が短いのです。
メーカーのWebサイトを見ると、およそすべてのメーカーで「耐用年数5年」と書かれています。
ラジオは、5年で壊れてしまう。
翻って。
この曲におけるラジオは、
自分に新しい世界を見せてくれるものであり、
自分を導いてくれるものであり。
それは親の庇護下を離れて次に見る指針。
例えば、自分が描く夢だとか。
繰り返し歌われる、
思春期に少年から大人に変わる
という一節は、歩き出した自分を強く意識した言葉なんですよね。
自分の意思でラジオを買うような奴が、こどもであるわけが無い。
だけど、こどもの頃の夢って、だいたいの場合、そのまま持ち続けることは出来ない。
5年で壊れてしまうラジオは、思春期に見た夢を青年期でも変わらず見せてくれるわけではないのです。
飾られた行きばのない
押し寄せる人波に
本当の幸せ教えてよ
壊れかけのRadio
こどもの頃の夢を変わらずに持ち続けられるのか。
それは分かりません。
多くの場合、大小に関わらず、軌道修正を迫られるものですけれど。
13歳でラジオをを買った少年が、
18歳で親元を離れて暮らしているうちにラジオの故障に気づく。
そんなところでしょうか。
新しいラジオを買うのか、
いい加減にラジオをやめてテレビにしてしまうのか。
それは分かりませんけれど。
そういえば、実家で私が使っていたラジオ、埃を被っていたものをこの前使ってみたら、普通に使うことが出来ました。
たまに何十年も使い続けられるラジオだってあるみたいです。
徳永英明さんの透き通った歌声が胸に響く曲です。
彼の声が持つピュアさが、この曲に命を吹き込んでいるのでしょう。
他の人では、中々こういう曲にはなりません。